■ 2005/10/13   KIN183: 直観を引きつける

 ブログを始めることにしました。  エムロード ブログ

 この日記をつけ始めようと決めた時、日記という形をとるか、ブログという形をとるか悩んでいて、結局日記という形にしていたのですが、そろそろ一方通行の会話ではなく、読んで下さっている方々との交流を図りやすくしたいと思い、ブログを始めることになりました。

 不思議なもので、日記はたった半年しか書いていないのですが、自分でも気が付かないうちにこの日記に愛着を感じていたのか、いざブログに変えようとしてみたら、意外なほど寂しく感じている自分がいるんですよねー。

 ブログでは、デザインは 1から作る のではなく、選択肢の中から選ぶけれど、HPの日記の場合は、デザインも自分で考えたからなんでしょうか?(といっても、作品って程のものでもないですが。。。) それとも、まだブログに慣れていないだけだからなんでしょうか?

 兎にも角にも、今までの、書き綴ることの中から生まれてくる気づきや新たな発見にプラスして、これからは、読んで下さる皆様との交流から、更に新たな気づきや発見が生まれて、よりイキイキと、エネルギー交流をしていけたらと思っています☆

 という訳で、日記は今日でおしまいとなります。今まで読んで下さって、ありがとうございましたm(_)m

 これからは、ブログの方でお会いしましょう♪


■ 2005/10/12   KIN182:呼吸を越える

 期待することと 思いを伝えること

 親が子供に、先生が生徒に、上司が部下に。
 そして、逆もまた然り。
 子供が親に、生徒が先生に、部下が上司に。 そしてパートナーや友達同士でも。。。。

 ある意味、人は人生を生きている限り、自分(の未来)や、自分以外の誰かに、何かを期待せずには生きられないかも知れません。そして、相手が自分の思うような状態になってくれないと思う時、裏切りを感じたり、失望を感じます。本当は、それが自分の勝手な期待、イメージであるのにも拘わらず。。。

 そこに期待があると、それが自分の思い通りでなかった時、裏切りや失望を感じる。

 でも、そこに期待がなかったら。。。 裏切りや失望を感じることもなくてハッピ〜、ハッピ〜 なんでしょうか??

 何かを伝えていく時、そこに相手に対する期待が全くないとしたら、思い(ハート)は伝わらないような気もします。より良くなりたい とか、より良くなって欲しい という期待があるからこそ、思いは伝わるのだと思うのです。だって、その思いを取り外してしまったら、それはだだの情報伝達に過ぎなくなってしまうと思うからです。

 相手に対する期待は、伝えたい思いがあるからこそ。

 ただ、期待は、その思いをのせるまででいいんじゃないかと思います。それ以上、その先の相手の反応にまで期待を持っていってしまうと、それはきっと エゴの入った期待 になっていくんだと思います。 相手の中に起きる出来事、流れを完全に信頼していれば、相手に対する反応に、一喜一憂することはないからです。

 エゴから来る押し付けを持った期待ではなく、又期待を伴った信頼でもなく、ただ相手の存在の中に起きるがままを信頼していくこと。――それが、真の意味の “思いを伝える” ということであり、 真の意味での “期待する” という事なんじゃないかと思いました。


■ 2005/10/11   KIN181:存在を普遍化する

 
『眼力(めじから)』 の定義

 最近は、テレビなどでもよく 『眼力』 って言葉が使われるようになりましたが、まだ今ほどその言葉が使われていなかった頃の事。。。

 『どんなタイプが好き?』って聞かれて、『眼力のある人♪』って答えていた時期がありました。そして、その言葉を自分なりに解釈した友達が、もう昔ヤンキーだったでしょう っていうような、ある意味 ガン をつけたような目をしている人をもって『こういう人?』って言われた事があります。――いやいや、そうじゃなくてさー。。。(^^)

 まあ、その時は、 『あ〜、そうだよねー。眼力って言えば、そういう解釈にもなるよねー。(^^;)』 なんて思った記憶があります。

 なんでこんな話をしようと思ったかと言えば、今日買い物をしていた時、とーっても魂の力が強いなーって感じる女性に出会ったからなんです。

 とても笑顔がカワイイ素敵な彼女で、その人に接すると自然に、周囲も明るく和やかになってしまう、そんな方でした。自分を肯定する力と、今の自分や今までの自分に与えられたもの全てを信頼しているな〜っていうのが、彼女の存在自体から伝わってくる方でした。

 ただグイグイと前に出て行く強さという意味の力ではなく、しなやかな強さというか、全てを感謝して受け入れる強さがあるという意味での、自分の人生を生きていく力、魂の力を感じました。汚れたものをも純粋にしてしまうような、ただただ純粋な魂の力を感じたんですよね。 一瞬にしてそれを感じさせてしまう。素晴らしいな〜と思いました。

 そう、そして、私が友達に伝えたかった『眼力』っていうのは、そういう力 だったんですよねー(^^)

 でも、だからといって、『私はまだまだ、そうじゃないわ』と思うのでもなく、ただそのままでいいんですよ。 ねっ。



■ 2005/10/10   KIN180:生命を解き放つ

 結論を早く知りたい って訳ではないのですが。。。

 本を読む時、あとがきを先に読むクセがあります。読み始める前に、『この作者はどんなことを思って書いたんだろう?』って気になって、内容を読む前に読んだり。あるいは、作品を読んでる途中に、期待以上に作品に 共感・感動・感心! したりしちゃうと、『え〜、これを書く人って、どんな人〜〜!?』 なんて興味から、プロフィールと共にあとがきまで読んじゃったり。(^^)

 でも実は、同じ行動をとる人が結構いるんだなー って事が分かったんですよね。

 その時は、なんだかすぐに1ページ目から読む気がしなくて、目次を見たりしながらパラパラと、例によって読む前にあとがきを読もうとしていました。 しかーし、その時飛び込んで来たのは。。。

 『内容を読む前にあとがきを読もうとしている方。是非あとがきは最後に読んで下さい。何故なら、私の意図を先入観として入れてしまう前に、読者の皆さんにまっさらな状態で読んで欲しいからです。』

 っていう意味の事が書かれていたんですよねー。 いや〜、やられた、やられた。(^^;)

 でも、そんな前置きを書いちゃう作者にも、そういう経験があったのかも知れないですよね。それに、あとがきを先に読む人も結構〜いるんだなって思いました。 な〜んだ、そういう人って多いのねっ!(^^)

 思いましたけど、あとがきから読むのって、新聞を3面から読むのに似てますかねぇ(!?) (^^)


■ 2005/10/9   KIN179:エネルギーを生み出す

なんだかこのところ、何に関しても、マイナスの側面を認める、受け止めることを考えているような気がしてきました。今きっとそんな時期なのかな〜と思います。

 先日の日記のように、分からなくてもいいと思う事もそうですが、人との交流においても、全てが全て楽しくプラスに終らなければならないということはないんですよね。

 そりゃ〜、映画でもハッピーエンドが嬉しいし、それが実際の人生でもそうあって欲しいですよね。だからこそ、ポジティブに自分の人生を創造していきたいし、その為に出来ることはしたいし、それに近づきたい。でも、自分の力で出来ることと、そうではない、コントロールできない物事があることを知ることも、又学びの一つであるということですよね。

 オーラソーマでいうギフトとチャレンジが同じボトルであるということ。マイナスの側面とプラスの側面は表裏一体であるということ。―それを統合していく中で、マイナスの側面を認める過程を通る時期と、プラスの側面の過程からそれを学ぶ時期とあるような気がします。そういうことを、大きな出来事からではなく、日常レベルで実感している時期かも知れません。

 う〜ん、なんか文章にすると、今さらのように、とっても当たり前のことのようにしか表現出来ないんだけど…。。。

 より日常の小さな出来事の中でそれを受け取っていって、もっともっとグラウンディングして(地に足をつけて)たいなって思いますね。


■ 2005/10/7   KIN177:共時性を型どる

 
分からなくていいんだ と思う事。

 昨日日記を書こうとしていたのですが、着地点が見出せないような気がして、途中まで書き始めて結局書けませんでした。というか、書かなかったというか、書かなくてもいいような、別にどちらでもいいような気分(!?)になって。

 自己探求をしていくと、自分が本当は何をしたかったのかが分かる事で、ヒーリングが起きてきます。分かる という事が第一歩というか。自分の魂はこういう事を望んでいたんだ って分かったり、その為に今までの過程があったんだ と分かることは、自分の中での統合の為には必要だと思います。

 でも、突き詰めていくと、今度は、わからない事の方が多くなってくる気がします。なんというか、結論なんて出す必要がないというか、流れに任せるというか。分かろうとすること自体が必要ないのではないか というか。

 かのソクラテスが、「自分は何も知らないということを知っているってことが賢者の証だ」と言われた というのも、なんとなく分かるような。。。――でも、ソクラテスはもっと深いとは思いますけどね(^^;)

 自分を知ることは、自分を幸せにすることだと思うし、それが入り口であり必要条件だとは思うけど、全てではない。むしろ、もしかしたら、分かって(知って)喜ぶのは、マインドだけなんだろうか。とか。 うーん、でもそれも何となく、そういう表現だけでは言い切れないような気がする。。。顕在意識化することで、魂もまた成長を遂げると思うし。

 無意識が意識化していくことと、意識が無意識化していくこと。その両方を移ろう過程の中に、分かる喜びと、わからない事を知る喜びがあるのかな〜 と思います。


■ 2005/10/5   KIN175:心をつりあわせる

 
正岡子規って、スゴイ!

 正岡子規は、歌人として俳人として、国語の教科書にも出てくる有名な人で、名前だけは聞いたことがありましたが良く知りませんでした。でも彼が残した言葉に、とても感銘してしまったんですよね。

 脊椎カリエス(結核性脊椎炎)にかかって、35歳で亡くなる迄の7年間、ずっと病床にあったのですが、その亡くなる直前に書いた『病牀六尺』という作品の中で、こんな言葉を残しているんだそうです。

 『余は今まで、禅宗のいわゆる悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事は、如何なる場合にも平気で死ぬる事と思っていたのは間違ひで、悟りといふ事は、如何なる場合にも平気で生きていることであった。』

 う〜ん、7年間も病床で生きた、その経験から生まれた言葉ですねー。

 死を恐れないとか、何かに不安や恐怖を感じることを克服することが悟りではなく、いかに自分の人生に幸せを感じて生きるか。―たとえそれが、重い病という運命であったとしても、自分の人生に起きて来ることの必然を、まるごと受け入れ、受けとめ、愛していく。

 自分の人生に起きて来る出来事。全て必然と言ってしまうには納得いかないことも沢山ある。でも、その必然をまるごと受けとめ、愛し、信頼していった時にこそ、ブルーの色彩の言語のような、 『全ての理解を超えた平和』 があるんですよね。

 あるがままを愛する。―言葉にしてしまえば、たったの9文字。でも、大変な経験を経てきた人から紡ぎ出される言葉には、重みがあります。

 いかに死ぬかではなく、いかに生きるか。それは、“意識的に生きる” ことによって実現されていくんでしょうね。

 その気づきを私達に残すようにして、その本が出版された同じ年
正岡子規はこの世を去っています。


■ 2005/10/4   KIN174:受容性を指揮する

 虫は苦手です。。。(>_<)

 何故なんでしょう?無意識のうちに何かトラウマになるような出来事でもあったんだろうかっ?て思うくらい、虫はホントに苦手です。小さいものから大きいものまで、飛ばないものから飛べるものまで、何でも。。。

 なにせ虫は、犬とか猫みたいに “触れ合う” ってな感覚には到底なれない...(-_-;) 自分でも不思議ですぅ。。。。

 小さい虫は以前より対処(!?)出来るようになって、そっと逃がしてやることが出来るようになったんですが、もう少し大きい虫さんになってくると、掴むには大き過ぎるし、かといって殺してしまう(!?)には気持ち悪いし。それで尚且つ飛ぶ虫なんてーなったものなら、もぉーーお手上げです。。

 近くに誰か、頼れる人(=虫さん退治担当!?)がいてくれる時は良いものの、1人の時にちょっと大きめで飛ぶ虫なんていてくれると、もーお、何も出来なくなっちゃいます。そして、今日、いたんですよねー、そーゆー虫さんが。。。(>_<)

 発見しただけで、全身の力が入らなくなっちゃうというか、どこかその虫のいない安全な所に逃げる(!?)までは、全身緊張っ!なんですよねー。。。 トホホ。。 こんな時でも、at ease!?(オーラソーマでは、どんな時でも、くつろいだ状態=at ease でいることが大切だと言われています。笑) 


■ 2005/10/2   KIN172:知恵をつなぎとめる

 2日ほど、ホームページが見れない状態になっておりまして、ご迷惑をお掛け致しましたm(_)m

 あれっ?アクセスカウンターが見えなくなったな〜なんて思っていたら、全部が表示出来なくなってしまって。

 始めは私のパソコンのせいかと思ったのですが、そうではなく。。。それじゃあサーバーがおかしいのかと思ったら、そうでもなく。。

 結局、正確な原因はまだ解明中だそうなんですが、とりあえず見えるようにはしていただき、良かった良かった♪

 いつもの状態に戻ると、人間、習慣で 『あー、良かった良かった。』 って思うように出来てるみたいですが、でも本当は、こういう一見悪い状況のように見える出来事も、良い事なのか悪い事なのかなんて、分からないんですよね。その出来事自体に意味があって、その過程そのものに意味があることで。

 今回、こういう事があったお陰で、あちこちに電話してみたりした訳ですが、振り回されてるようでいて、実は結構勉強になっていたりして。対応してくださる方々のサポートセンターの方って、あらゆるケースに対応しつつ、苛立つ人からの電話も多いだろうに、冷静に対応して下さっていて、素晴らしいなぁ〜と思っちゃいました。

  『物事に良し悪しはない』って言うけど、ホント、表面の状態に振り回されない自分でいられるのって、心地よいものですよね。


■ 2005/10/1   KIN171:幻想を安定させる

 
大阪は 素に戻るところ!?

 阪神が優勝して、今年は柵まで作られたにもかかわらず、いつもと変わらず、道頓堀川にダイブする人達の姿がニュースで流れてましたね〜。

 柵の効果もあってか、例年よりダイブする人数はとても少なかったみたいですが、それにしても、『やっぱりやめられない!』 んでしょうね(^^) ダイブして大騒ぎする人がいるかと思えば、明け方になると、自主的にお掃除する方々もいて、そのギャップというか、そのメリハリが、なんともいいなぁ〜って思って、ニュースを見ていました。

 大阪という場所は、 『本来の自分に戻る。本来の自分自身を確認する。』 エネルギーで、本来の自分自身を確認できるパワーを持った土地だと、何かで聞いたことがあります。道頓堀川のダイブとかをみると、それって本当かもー!、なんて思っちゃいます。

 それに、言葉をとってみても、大阪弁って、とっても本音が出る言葉使いが多いですよね。『ホンマか〜?』とか『○○やったわ〜。』なんていうのを聞くと、とっても情がこもっていて、本音でしゃべってるな〜っていうエネルギーが伝わってくる感じだし。

 毎日大阪弁を使っている人達にとっては、そうでない時もあるかもしれないけれど、大阪弁という言葉そのものが、本来の自分を表現しやすいような言葉になっているような気がします。それはもしかしたら、土地というエネルギーが、そこに住む人が使う言葉にも表れてるのかな〜、なんて思ったり。

 方言というモノ自体、共通語よりも情がこもっていて、本音や感情が出やすいものだと思いますが、たくさんある方言の中でも大阪弁が一番全国に浸透しているのは、お笑い界の影響だけではないような気がしました。(^^)
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